2014/10
竹中大工道具館君川 治


【産業遺産探訪  3】


法隆寺建造の大工道具 拡大

 法隆寺の解体修理により復元した釿(ちょうな)、鑿(のみ)、鉋(やりかんな) 鋸(のこぎり)


標準大工道具 拡大

 大工道具の標準構成179点内訳
 鑿49点、鉋40点、錐26点、
 墨掛道具・定規類14点 など


【参考資料】  
 宮大工千年の知恵
    松浦昭次   祥伝社(2000)
 法隆寺を支えた木
    西岡常一  NHK出版(1978)
 工匠たちの知恵と工夫
    西 和夫  彰国社(1980)
 建築技術史の謎を解く
    西 和夫  彰国社(1986)

もの作り日本
 我々の子供の頃、木造の家を作るときには大工が建築現場で鋸や鉋をつかって木材の加工をしていた。畳屋の前を通ると職人が長い畳針を使い、肘を支点にして糸を引く姿が見られた。
 建具屋、下駄屋などでも作るところを見物できた。モノの修理も時計屋、靴屋、洋服屋などでは販売の店先で修理もしてくれた。従って、完成品を見るだけでなく作る過程を眺めることができた。
 モノを作るにはそれに適した道具がある。職人の技は道具により活かされるのだ。今は工場で加工するのが殆んどで、もの作り作業は工場に出かけていかないと解らない時代となった。


日本の建築
 日本は豊富な森林資源を活用した木造建築が特徴である。代表的な建築は世界遺産にも登録されている法隆寺や宇治の平等院、東大寺の大仏殿などの寺社建築、法隆寺や興福寺などの五重塔、京都の桂離宮や奈良の正倉院などを挙げることができる。
 一般的には木造建築は、石や煉瓦を使用した西洋の建築より耐用年数が低いとされているが、日本の木造建築は高温多湿の気候風土にもかかわらず長寿命の建築が沢山ある。法隆寺は建造されてから1200年以上経つ。これまでに何度も解体修理され、部分的には新しい木に置き換えられているが、主要部分は昔の木材・檜で構成されている。
 寺院も五重塔も礎石の上に柱を乗せて建造している。柱を土の中に埋めると木が腐るのでこのような工法を採用しているが、これで強度が保たれるのは、「貫」構造の木組みによるそうだ。
 木組みには多くの複雑な構造があり、これを可能にしたのは建築道具である。


竹中大工道具館を訪ねる
 世界に誇る日本の木造建築は永い間に培われた技術の蓄積と同時にそれを可能にした道具があったからでもある。
 神戸にある「竹中大工道具館」を訪ねてみた。
 竹中工務店は江戸の始めの慶長15年(1610)に名古屋に創設された、歴史のある建設会社で、神社仏閣を中心に木造建築を得意としていた。明治32年に神戸に進出し、今は大阪に本社を置くスーパーゼネコンの一つである。創立85周年記念事業として昭和59年、縁の地神戸にこの大工道具館を設立した。
 設立の趣旨は――「建築の生産方式のシステム化が進み、工場生産と省力化による効率化が優先し、電動工具が普及する現代にあって、次第に消え行く古い時代の道具、優れた道具を民族遺産として収集、保存し、これらの研究・展示を通じて工匠の精神や道具鍛冶の心を後世に伝えていく」――というものである。
 入口には大きな木組みが立ててある。展示は1階が「道具の歴史」、2階が「木と匠と道具」、3階が「道具と鍛冶」となっており、それぞれに興味のある展示品が並んでいる。
 法隆寺の解体修理により、各部材に残る刃の痕跡から、使われた主な道具は釿(ちょうな)、鑿(のみ)、鉋(やりかんな) 鋸(のこぎり)であると解析した。
 建築の多様化と共に道具も進化し、江戸時代後半に大工道具はほぼ出揃った。大工道具の標準構成は179点、鑿が49点、鉋40点、錐26点、墨掛道具・定規類14点などである。安普請の場合は79点編成となると説明してあり、匠の技が道具に支えられていることが判る。
 鉋だけでも40点あり、サイズや刃の向き、切削面カーブなど種類の豊富なのに驚く。
 木を活かして使うのが日本建築の特徴で、展示室2階には檜、杉、槙、松、欅、栗など針葉樹6種類、広葉樹18種類の原木標本が展示してある。更には製材の仕方や木組みについての説明がある。
 全国に五重塔が25基あるそうだ。地震の多いわが国で、五重塔が地震で倒れたという記録は無い。これは五重塔の建築方法によるもので、木組みにより強度を持たせると同時に震動を吸収する工法が取られているからだと説明されている。
 五重塔や寺院、大伽藍などの複雑な建築を造るのに設計図がない。縮尺模型を作り、それを参考にしながら現場手直しをしつつ建造するそうである。設計図が無いと通常は標準化ができないが、畳と建具により規格化していた。
 設計技術に「規矩術」があり、規は円を書く道具、矩は曲尺のことで、この道具を使って「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」「ルートの計算」「円周の計算」も出来るそうだが、説明を見ても直ぐには理解できない。
 見て面白いのは木組みである。建築部材を組み合わせる「継手」「仕口」という工法があり、箱根の寄木細工より遥かに複雑である。


匠の技
 法隆寺大工棟梁で「技術者の人間国宝」の西岡常一氏は、木の性質を知るためには、木の育つ山を調べ、北面の木か南面の木かまで調べて使う場所を決めると述べている。
 宮大工で同じく人間国宝となった松浦昭次氏は、効率重視の現在の製材方法では良い木造建築は出来ないと述べている。「切り倒した木の小枝を残したまま1年放置して樹液を抜き、川に流して運びながら残った樹液を洗い流し、その水を充分乾燥させてから使えば、木は割れたり歪んだりしない」と言う。
 明治になって日本の建築は急速に洋風建築、擬洋風建築に移行する。しかし、煉瓦や鉄筋が材料として使用される以前は木造建築であり、これ等を支えたのは大工たちであった。匠の技は西洋建築にもすぐ対応できたのである。
 道具がもの作りで重要なのは建築ばかりでは無い。技術進歩の重要な手段であることは洋の東西で共通である。
 近代科学技術は理論と実証実験により進歩してきた。実証実験は実験装置や計測技術によって支えられている。例えばガリレオの「天球の観測について」は自ら製作した望遠鏡により可能となったし、素粒子物理学はウイルソンの霧箱の発明により、直接見ることの出来ない微小粒子の飛跡を観測できることから進展した。


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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